産業で振り返る人類の1000年間

概要

人類の歴史を産業を中心に振り返ってみます。イギリスの繊維産業から現在のデジタル社会に至るまでをつなげて考えてみました。

イギリスの羊毛の余剰と生産技術を求めた戦争

イギリスの主要な産物は羊毛でした(1200年代)。イギリスは輸出によって対価を得ていました。羊毛の生産が拡大するに連れ余剰が蓄積されるようになります。

イギリスはその余剰から毛織生産技術を欲し、その技術を有するフランスと百年戦争(1339年~1453年)を開始します。結果はフランスを侵略できずに戦争を集結することとなりました。

毛織物の需要増加と生産の効率化

エリザベス1世の時代(1500年代)、ヨーロッパ全体の人口増加により、羊毛産業の需要が高まっていました。

領主や富裕層は農民から畑を奪い、農地を柵で囲い込んで羊を飼うための牧場に転換しました。土地を奪われた農民は労働者となりました。さらに領主や富裕層は工場という箱詰めの生産形態を作り、毛織物の生産効率をさらに向上させるようなります。自国だけでは供給過剰となっていきます。

またしても供給過剰に植民地拡大へ

作り出した製品に余剰が生まれるようになります。さらなる市場を求めて植民地化が進みました。イギリスはその供給を埋めるように中国とインドにその支配圏を拡大します(1600年代)。

イギリスは貿易による国際間の利益を重視するよう推し進め、毛織物業を保護しようとしました。

毛織物から綿織物への産業シフト

しかし中国やインドで毛織物はうまく売れませんでした。かえってイギリス国内ではインドから輸入した綿織物が受け入れられ、毛織物業の保護も虚しく次第に毛織物の需要は減少していくこととなりました。

世界貿易の中でイギリスの産業は毛織物から綿織物に産業のシフトを開始します。農地はなくなってしまっているため労働者はいました。綿はアメリカから輸入するようにしました。この貿易はアフリカに雑貨や武器を送り、さらにアフリカからアメリカへ奴隷を送ることで対価として得ていました。三角貿易と呼ばれるものです。

起こる産業革命、圧倒的な供給

機械化という産業の革命は世界で初めてイギリスで起こりました(1700年代終盤)。綿工業の紡績(綿糸を紡ぐ工程)と、織布(綿糸で布を織る工程)を機械化し、かつてない生産効率を実現しました。

輸入品だった綿織物を逆にインドに輸出するようになりました。自国はもちろん、インドや中国などに製品が大量展開されます。その様子からイギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになります。タイミングとしても良く、ナポレオンが暴れ終わったあと(1800年代序盤)でフランス、および大陸側の国はちょうど疲弊したためイギリスが相対的に強くでることができました。

侵略戦争による需要補填

石油と電力を産業に利用できるようになり、大掛かりな工場を使って爆発的な効率で綿織物を生産するようになりました。この技術は綿織物だけでなく軍事や車などの産業にも利用されました。

資本家は利益のためにハイリスクハイリターンな行動を取るようになります。イギリスとしても国内の産業が潰れては他国に先を越されてしまうことになりえます。国内産業を守るために植民地を確保するための侵略戦争が加速していくこととなりました。

ヴィクトリア女王の時代(1837年~1901年)は100年戦争時と異なり圧倒的勝利のすえイギリスは世界の1/4以上の国を支配することになります。

工場から金融へのシフト

イギリスは侵略戦争産業革命の立て続けの成功により莫大な資金を得るに至りました。大規模な戦争と産業革命の時代で、どの国も資金調達に追われていました。イギリスはこの資金を他の国に貸し付けることによって儲けを得るようになりました。

金融とは、乱暴な言葉で言えばカネ回しのことです。イギリスは金融業をひたすらに行い、世界のカネの流れの中心となります。イギリスは「世界の工場」から「世界の銀行」と呼ばれるようになりました(1900年初頭)。

世界大戦、そして世界の中心はアメリカに

しかし、第一次世界大戦(1914年~1918年)によりイギリスの経済は疲弊します。そして経済の中心が、第一次世界大戦で潤うことになったアメリカに移行していきます。

ただ、アメリカも資本が集中しすぎたことで、過剰供給状態に陥り、アメリカ発の世界恐慌(1929年)を引き起こします。疲弊しきっていたイギリスはそのあおりを受けて金融の中心から更に離れていくことになります。

そして、第二次世界大戦(1939年~1945年)で勝利を収めたアメリカが世界の覇権のようになっていきます。

人類はコンピュータで宇宙へ、インターネットで瞬時に世界へ

コンピュータが登場し機械的なハードウェアと処理手順であるプログラムの部分をソフトウェアとして切り離す事ができるようになりました(1940年代)。ソフトウェアによりプログラムのカスタマイズが用意になり複雑な産業システムの構築が可能となりました。その際たる例として、人類はコンピュータ・テクノロジーを駆使して月面着陸さえも可能にしました(1969年)。

インターネットが普及するようになるとコンピュータを介して瞬時に世界とつながることが可能になりました(1990年代)。産業だけでなく金融もまたインターネット上で個人がいつでも行う事が可能となりました。インターネット上で行う情報検索サービスや通販サービスは個人の生活をより豊かにしました。個人が個人に出資するクラウドファウンディングと呼ばれる出資形態も生まれました。産業の価値がモノから個人サービスの形態へ、カネの流れも個人へシフトしました(2000年代)。

デジタル通貨の台頭

金融の世界はデジタル通貨が到来によりさらに変化を余儀なくされます。仮想通貨は国家や銀行システムなしで通貨としての価値が確立することを示しました(2010年代)。信用はマイニングと呼ばれる民主的な取引承認とトレーサビリティの完全性によって担保しています。

国家通貨もデジタル通貨として発行されるようになります(2020年代)。デジタル貨幣は国家を超えて扱うことができます。人々はサービスのよいデジタル通貨に変換して使うようになります。もしも貨幣のデジタル化が遅れれたりよりよい個人へのサービスが提供できなければ、自国の通貨を邪魔に思う人々が現れる可能性があります。

まとめ

産業はイギリスの繊維産業を起点に発展しました。足りないパイを増やすため侵略戦争を行いました。世界大戦を越え、産業の起点はアメリカに移りコンピュータとインターネットを生み出しました。そして世界はデジタルへ文化を移行し、ヒト・モノ・カネがより自由に移動できる世界になりました。産業や金融はより個人に寄り添う形態に発展を遂げました。

1000年の間でこれほどの産業の変化が起ころうとは誰が予想したのでしょう。今後の1000年にも目が離せません。