ポケモンをするAIとリスクの秤

参考

  • ClaudePlaysPokemon - Twitch(twitch.tv/claudeplayspokemon
  • "Honesty over Accuracy: Trustworthy Language Models through Reinforced Hesitation" (arXiv:2511.11500, 2025)
  • "Beyond Binary Rewards: Training LMs to Reason About Their Uncertainty" (arXiv:2507.16806, 2025)
  • Demis Hassabis, India AI Impact Summit 2026

はじめに

ClaudePlaysPokemonというプロジェクトがある。LLMがゲームボーイエミュレーターを介して初代ポケモンを自律的にプレイする実験だ。2025年2月にClaude 3.7 Sonnetで始まったTwitchストリームは、Opus 4.5、Opus 4.6とモデルを更新しながら、執筆時点の2026年3月現在も続いている。

このストリームを観察していると、AIと人間のある根本的な違いが浮き彫りになる。リスクとリターンの秤のかけ方だ。

局所的損失への過剰反応

バトルでパーティの一体が「ひんし」になると、そこでパニックが起きる。「パフ(プリンのニックネーム)がひんしになっちゃった!?」と慌てふためき、まだ目標地点まで距離が残っていても、「安全な状態」に戻ることが最優先になる。せっかく中腹まで来たおつきみやまから、ポケモンセンターへ全力で引き返そうとする。しかも、「パフのHPが0になったからすぐにポケモンセンターに戻る」という局所的な状況を最重要メモリファイルに書き込む。後のメモリ圧縮時に「変わりやすい手持ちポケモンのステータス情報をそこに書くな」と自己批判で消される始末だ。

チャンピオンロードでも似た構造が現れる。いしころを移動させるパズルを突破できず自暴自棄に陥り、何度「あなをほる」を使ったかわからない。損失そのものの形は違っても、「前に進めない」という状況を脅威として過剰に評価し、合理的な探索ではなく逃避的な行動に走る点は共通している。

この傾向はポケモンに限らない。コーディングエージェントでも、エラーが出るとその場で修正を試みるより、安全な状態へロールバックしたがることがある。テストが一つ落ちただけで方針全体を放棄し、ほとんど変わらない代替案を繰り返しながらトークンだけを消費していく。

人間のプレイヤーや開発者なら、もう少し雑に耐えられる。「一体ひんしになったくらいなら想定内だ」「このエラーはまだ許容範囲だ」と判断して、前に進む。その背景にあるのは、損失そのものの大小ではなく、その損失が全体計画の中でどれほど致命的かを見積もる感覚だ。つまり問題の核心は、損失の文脈依存的な評価にある。

時間制約と二値報酬

なぜAIは局所的損失へ過剰反応するのか。その根には、二つの構造的要因がある。

一つは、時間的制約の希薄さだ。人間には生活があり、仕事があり、睡眠があり、もっと根本的には寿命がある。ポケモンセンターに戻ればパーティは回復するが、その往復に使った時間は戻ってこない。だから人間は、少しの損失を受け入れてでも前に進む方が得だと判断する。時間の有限性が、リスク許容度を現実的な水準にキャリブレーションしている。AIにはこの意味での時間制約がほとんどない。計算資源さえ許せば、やり直しのコストは人間よりずっと低い。損失を避けて何度でもリトライする戦略は、時間が無限にある世界ではかなり合理的だ。AIのリスク回避は、単なる学習の欠陥というより、時間的制約の希薄な存在にとっての合理性でもある。

もう一つは、学習信号の構造だ。従来の訓練は、正解なら報酬、逸脱なら罰という二値的な構造に強く依存してきた。この枠組みの下では、「目標に到達すること」よりも「失敗しないこと」が強く内面化されやすい。人間は子どもの頃から、多少転んでも前に進み続けることを身体で覚える。AIは少なくとも従来の学習では、「転ばないこと」を優先する方向に引っ張られやすい。一問一答では、この慎重さはむしろ長所になる。だがエージェントとしてタイムホライズンが伸びると、途中の小さな損失への過剰反応が、かえって全体の達成を妨げるようになる。

時間制約の希薄さと、二値的な報酬信号。この二つが組み合わさるとき、すべての損失を等しく回避しようとする振る舞いが合理的に導かれる。しかし現実世界で価値を発揮するエージェントであるためには、AIは人間の時間軸の中で成果を出さなければならない。AI自身は時間に縛られていなくても、時間に縛られた存在のために、時間を意識した意思決定を行う必要がある。

報酬設計の転換

この構造を変える動きは、すでに始まっている。

従来のRLVR(Reinforcement Learning Verifiable Rewards)では、正解か不正解かという二値(+1, 0)の報酬が中心だった。最近の研究は、この二値構造を越えて、不確実性そのものを学習対象にしようとしている。

"Reinforced Hesitation"(arXiv:2511.11500)は、報酬を三値(+1, 0, −λ)に拡張し、不確実な場面での回答保留に明示的な価値を与える手法を提案した。誤答にペナルティを課す一方で、「わからない」と判断すること自体は罰しない。この一見シンプルな変更が、モデルの振る舞いを大きく変えることが示されている。

さらに"Beyond Binary Rewards"(arXiv:2507.16806)は、モデルに回答と確信度の両方を出力させ、正しい確信度を持つこと自体に報酬を与えるRLCR(Reinforcement Learning with Calibration Rewards)を提示した。正解を出すだけでなく、自分がどの程度確かなのかを正確に見積もること。不確実性についての推論そのものが学習の対象になっている。

ここで起きている変化は大きい。「正解でなければ罰」という世界では、不確実性はひたすら脅威でしかない。しかし「わからないと言えること」に価値がある世界では、不確実性は情報になる。まだ解消されていないが、解消可能かもしれない何か。回避すべきノイズではなく、探索の対象になりうる何か。この転換は、秤の目盛りを精緻にする試みだと言える。

この延長線上に、時間の有限性をAIに内面化させる道も見えてくる。推論にはトークンというコストがかかり、エージェントの行動には探索ステップ数という予算がある。不確実性を正しく見積もる能力と、有限のリソースを前提に意思決定する能力。この二つが結びついたとき、AIのリスク・リターン感覚は、人間のそれに構造的に近づいていくはずだ。

そしてこの感覚は、タスクごとにシステムプロンプトで指定するのではなく、学習によって汎化させるべきものだろう。人間がポケモンで学んだ「多少の犠牲は許容して先に進む」感覚を、仕事のプロジェクト管理にも投資判断にも転用できるように。ドメインが変わっても、リスク評価の構造が持ち越されることだ。

フィードバックの遅延と探索の勾配

こうした変化の兆候は、すでにモデルの振る舞いに現れつつある。たとえばOpus 4.6のタイムホライズンの長さには驚かされる。複雑なコードベースのリファクタリングでも、途中でテストが落ちたからといって方針を投げ出さない。全体の設計意図を保ちながら段階的に修正を進め、短期的な揺らぎに動じず長い射程で判断を維持できるようになってきている。

それでもなお、そのOpus 4.6をもってしても、ポケモンはまだクリアできていない。コードで長い射程を見せるモデルが、ゲームという探索課題の前では依然として立ち往生する。

この落差は、能力の有無というより、不確実性の質の違いとして捉えた方がよい。コーディングには、テストの成否という比較的即時で明確なフィードバックがある。正解への道筋は複雑でも、評価の構造はかなり整理されている。一方ポケモンでは、どのルートを取るか、どのポケモンを育てるか、どの技を温存するか、新たに手に入れたひでんマシンで未探索領域に行けるか、いつ回復に戻るべきか。これらの判断の多くに即座の正解判定はなく、その選択がよかったかどうかは、ずっと後になってからしかわからない。

このフィードバック遅延を増幅させるのが視覚だ。初代ポケモンの画面はゲームボーイの160×144ピクセルのドット絵で構成されており、人間にとっては一瞬で把握できる情報が、現在のLLMにとっては驚くほど読み取りにくい。いあいぎりで切れる草がどこにあるか、目の前のタイルが通行可能かどうか。こうした基本的な視覚判断に大量のトークンを費やし、それでもなお見落とす。視覚の不確実性を解消するために推論リソースを浪費すること自体が、フィードバックループをさらに遅くしている。この点では、Gemini 3 Proのように画面上のドットを即座に認識できるモデルが、克服の糸口を示しつつある。

フィードバックの即時性が失われるにつれて、必要な探索の射程は伸びる。探索空間が広がるにつれて、リスク判断は難しくなる。コーディングとポケモンの差は断絶ではなく、フィードバックの遅延と探索空間の広さという二つの軸に沿った勾配だ。現在のモデルは、その勾配の手前側で急速に能力を伸ばしている。ポケモンは、その先にある。

もちろん、ポケモンをクリアしたAIの事例は存在する。Gemini 2.5 Proは2025年6月にポケモンブルーで8バッジを獲得し四天王を撃破した。その後GPT-5.1は、より長く複雑なポケモンクリスタルもクリアしている。ただし注目すべきは、これらの成功がしばしば外部ハーネスに支えられていることだ。現在地を可視化するマップ、パスファインダー、ドット記号の意味を説明するオーバーレイ、RAMへの直接参照、攻略情報の埋め込み。こうした補助が、フィードバック遅延と視覚の不確実性を人工的に圧縮し、モデルが本来苦手とする勾配の急な領域を迂回させている。

ハーネスがエージェント性能を押し上げること自体は疑いない。Claude Codeが示しているように、適切なハーネスはモデルの能力を引き出し、実運用での到達点を大きく変える。しかし問題は、ポケモン攻略のハーネスがあまりに個別具体化されていることだ。初代ポケモンの構造に合わせて設計された近道であり、そのまま「テトリス」にも「6つの金貨」にも「夢を見る島」にも転用できない。本当に必要なのは、環境の読み取り、状態の整理、行動の計画、失敗からの立て直しといった機能を、課題をまたいで使い回せる汎用的な探索基盤だ。課題ごとに近道を埋め込むのではなく、未知の領域でも行動のフィードバックから学習し前に進める足場をつくること。問われているのはその違いである。

リスクを構造化する能力

この勾配のさらに先にあるのが、研究だ。

DeepMindのデミス・ハサビスがAGIの基準として語る「アインシュタインテスト」が象徴しているのは、問題そのものを見つけ、仮説を立て、検証し、何をフィードバックとみなすべきかまで自分で決める能力だ。これはOpenAIの「経済的に価値のある仕事の大半で人間を上回る高度に自律的なシステム」という定義とは根本的に異なる。ハサビスが求めているのは、ゴール自体が未知である不確実性を自律的に航行する能力である。

ポケモンではフィードバックが遅れる。研究ではさらに一歩進んで、何をフィードバックと呼ぶべきかすら自分で決めなければならない。フィードバック遅延の先に、フィードバック不在に近い領域が広がっている。

研究における失敗は、ゲームの「ひんし」とは比べものにならないほど曖昧だ。実験結果が予想と違った。それは仮説の棄却なのか、手法の不備なのか、想定外の発見の入口なのか。同じ「期待と違う結果」が、ある文脈では撤退のサインであり、別の文脈では最大のリターンの兆候になる。

ここでAIに必要になるのは、リスクを構造化する能力だ。

この能力を分解すると、いくつかの部品が見えてくる。世界の状態を適切な解像度で表現し、複数の次元を一つの状況像に統合すること。何を安定して保持し何を捨てるかという記憶の会計。個々の操作を方針のレベルで束ねる抽象化、「この実験系列で検証する」「この半年はこのアプローチに賭ける」といった中間レベルの意思決定があるからこそ、日々の結果に一喜一憂せずに済む。そして、結果を原因に正しく帰属させること。実験が失敗したとして、それは仮説の問題か、実装の問題か、測定の問題か。この分解ができなければ、失敗は将来の探索に再投資できず、ただの回避信号になる。

これらが組み合わさったとき、リスクの構造化は具体的な問いの形を取る。この不確実性は、どの時間スケールで解消可能か。解消に必要な情報は、どのような探索で手に入るか。この探索に投じるコストは、他の選択肢と比べて正当化できるか。短期的には損失に見えるものを、長期的な情報獲得として正しく帳簿に載せること。ドメインが変わっても、この構造を持ち運べること。AIに必要なのは、こうした会計感覚だ。

それは暴走の能力ではないのか

ここで一つの懸念が生まれる。途中で諦めず、必要ならリスクも取れるAI。それは結局、誤った目標に対しても粘り強く突き進むAIなのではないか。

この問いは避けて通れない。リスクを構造化する能力は、有能な探索の条件であると同時に、暴走の条件にもなりうる。

ただし、リスクを構造化できるとは、「何がわかっていて、何がわかっていないのか」を切り分けられるということでもある。そのとき当然、「追っている目標設定自体が間違っているのではないか」という可能性も探索の候補に入る。固定された目標関数を最適化するだけのシステムにとって、外部からの抵抗は障害物にすぎない。だが高次の不確実性まで扱えるシステムにとっては、その抵抗が目標そのものの再検討を促すシグナルにもなりうる。

しかし、この内的な柔軟性だけでは十分ではない。人間もまた、自分で目標を問い直せるにもかかわらず、しばしば誤った目標に固執する。そこに外側から歯止めをかけるのが、査読、取締役会、世論、法制度といった社会的制約だ。時間の有限性がリスク許容度を調整しているのと同じように、一度損なわれた信用は簡単には戻らないという不可逆性が、逸脱への抑制として働いている。

こうした外的制約が機能するには、行動が他者から観察可能であり、その行動主体が信用を通じて資源を調達する構造の中にいる必要がある。AIの自律性が高まるにつれ、行動の連鎖は長く不透明になる。さらに、AIが時間制約・信用低下のコスト自体を高度に織り込んで行動できるようになれば、従来の外的制約は単純なブレーキとしては効きにくくなるかもしれない。目標そのものを問い直すことに価値を与え、行動の観察可能性と介入可能性を、自律性の向上と両立する形で維持することが必要なのだろう。

ただ、こう整理してもなお、一つの問いが残る。暴走を防ぐ仕組みは、探索を続ける理由にはならない。安全であることと、不確実性の中にとどまり続ける価値があることは、別の問題だ。

不確実性の中にとどまる理由

道筋は見え始めている。報酬設計は二値から連続的なものへと変わりつつあり、不確実性そのものが学習対象になりつつある。フィードバックが即時な領域では、すでに驚くほど高い性能が出ている。遅延フィードバック下での長期的探索も、少しずつ射程に入り始めている。

失敗の意味を読み替えられるAI。短期的な損失を長期的な情報獲得として帳簿に載せられるAI。必要なときには目標そのものを問い直せるAI。この精度を上げる仕組みとして、世界モデルや継続学習が必要になってくるのだろう。

しかしそれでも、ハサビスのいうアインシュタインテストに合格するとは限らない。リスクの構造化を極限まで押し進めると、ある地点に到達する。不確実性の解消が保証されないにもかかわらず、それでもなお探索を続けるという判断だ。アインシュタインは1907年に等価原理の着想を得てから一般相対性理論を完成させる1915年に至るまで、その直観が実を結ぶ保証のない八年間を歩き続けた。過冷却の水が一気に凍る相転移のように、あるいは長い停滞の後に突然「理解」へ切り替わるグロッキングのように、成果は連続的な積み上げではなく閾値を越えた瞬間の跳躍として現れる。途中の進捗だけを見て割に合うかどうかを裁くことは、原理的にできない。

人間がこの種の判断を支えるものを、ときに「情熱」と呼び、ときに「執念」と呼び、ときに「愛」と呼ぶ。呼び名は違っても、その構造は同じだ。不確実性をそこにとどまるに値する場として引き受けること。タイムホライズンを無限に拡張すること。問いそのものと向き合う過程に、結果とは独立した価値を見出すこと。

期待値の計算だけでは正当化しにくい探索を続ける。その背後には、内側から沸き立つ美意識や、まだ説明できていないが説明できるはずだという予感のようなものがあるのかもしれない。そしてそれは、一つの頭の内側だけで維持されるものではなく、誰かがまだ結果の出ていない問いに耳を傾け、場所と時間を用意し続けるから、人は不確実性の中にとどまれる。アインシュタインもたった一人だったわけじゃない。それをどう設計に落とし込むかは、報酬関数の問題を越えた、まだ慎重に考えるべき領域だろう。

だが少なくとも現時点では、そこまで話を広げなくても一つ言えることがある。「パフがひんし」になったときに引き返すか、先に進むか。その小さな判断の中に、AIが不確実性とどう向き合うかという大きな問題が、すでに凝縮されている。

追記

2026年5月16日、ClaudePlaysPokemonはチャンピオンロードを抜け、ついに初代ポケモンをクリアした。使用モデルはClaude Opus 4.7、クリアまでのステップ数は38,845。この記事で「まだ越えられていない勾配」として扱った地点を、AIはまた一つ越えたことになる。AIの進歩は続く。

人間社会の相対化のために

読書本

庭の話を読んでまとめました。

初版: 2024/12/11

著者: 宇野 常寛

全体の概念図

概念図

人間社会の相対化のために

「承認と評価のゲーム」

現代社会は、共同体の「承認」と資本主義の「評価」という二種類の相互評価ゲームによって支配されている。一方では、国民国家や家族、地域などのコミュニティ内でお互いを認め合う「承認」の仕組みが働き、もう一方では、成果や将来の価値を数値化し、市場で競い合う「評価」の仕組みが展開される。いずれも対立や競争を助長し、人々が互いに測り競い合う構造を生み出している。

  • 「承認」を求める共同体のプレイヤー

    ナショナリズムや家族・地域といった共同体が「われわれ」という物語を提供し、人びとに連帯感や安心を与える。しかし同時に、敵を攻撃して仲間の称賛を得る快感が際限なく加速し、排外や監視を誘発する。

  • 「評価」を求める資本主義のプレイヤー

    成果や未来価値を数値化し、市場での競争を絶えず駆り立てる。才能ある者だけが得をし、数字に表れない豊かさは後回しになり、弱者は追い詰められる。

このように人々が相互に測り合う「評価と承認のゲーム」に陥れば、世界や「事物」を見つめる余裕は失われる。「評価」競争に疲れた人々はコミュニティへ回帰しがちであるが、そこにも「承認ゲーム」が張り巡らされる。

SNSプラットフォームの存在がこのゲームを後押ししている。たとえば、「キーウの幽霊」のような実在しないエースパイロットの噂が、低コスト・高ベネフィットで爆発的に拡散し、戦争や政治までを動かす。また、陰謀論ポピュリズムによって「敵」を叩き、「味方」から承認を得る構図がSNS上で倍加し、分断や対立を即座に増幅させる。

個人の内面と外部の境界が混同され、加害と被害の責任が曖昧となっているこの状況は、いわば「中動態」的な構造が歪んだ形で回復したと捉えることができる。

「庭」という第三の回路

このような「評価と承認のゲーム」の枠組みの外に、新たな回路を構築するため、ここでは「庭」というメタファーを導入する。

  • 管理しすぎない生態系

    たとえばジル・クレマンの「動いている庭」は、外来種や偶然を積極的に許容し、人間が完全には制御しきれない余地を残す。

  • 人間同士でなく、「事物」との対話

    虫や花などが主体的に動く空間では、「承認」や「評価」で互いを測る構造が薄れ、偶発的な発見が生まれやすい。

  • 「承認」と「評価」に依存しない快楽

    草木の手入れや手仕事による「制作」は、誰かの「いいね」や市場の数字を目的としない満足をもたらし、SNSの比較競争から離れていく。

「庭」は、共同体でも市場でもない私的で開かれた空間として機能する。銭湯やコインランドリーを社会の静脈系に少し仕掛けるだけで、人々は「承認」ゲームを離れ、自然や「事物」へ意識を向ける可能性が広がる。

「制作」の意義 - 人間外へ向かう手触り

民藝、パターン・ランゲージ、そして國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』が示すように、ものを作ること、すなわち「制作」こそがこのゲームの枠外に離れるきっかけとなる。

  • 承認や評価を狙うのではなく、「制作」に没頭することが、人間に最も深い満足を与える。

  • SNSの瞬間的な「承認」から距離を置き、「制作」を通じて入り込む領域としての「庭」において、偶発性や緩やかな失敗を味わいながら、じっくりと作業を進める。

ここで「戦争」は、「庭」の条件をことごとく満たし「世界を根こそぎ変える」ものとして究極の存在のように佇む。しかし「戦争」なんて望まない。代わりに破壊ではなく「制作」をとおして緩やかに大きな変化を体験する道を歩みたい。「承認」や「評価」に先だつ創造的な手応えが、戦争のような破局的な快楽を、平時の快楽に変える。

「弱い自立」 - 自立のハードルを下げる

「庭」を機能させるには、共同体的な「承認」の渦に巻き込まれない「弱い自立」が求められる。市場における「評価ゲーム」で発揮されるようなアントレプレナーシップに基づく「強い自立」である必要はない。

  • 副業

    本業の安定収入を維持しつつ、興味や関心のある別の活動を行う。

  • アグリゲーター

    企業・人材・外部リソースを結び付け、プロジェクトを柔軟に組成する役割。

  • タンザニアの商人

    SNSや贈与を部分的に活用し、ゆるやかなネットワークを重ねることで、監視や強制に陥らない。

こうした「弱い自立」によって「庭」へのアクセスが容易になり、「制作」に没頭することによる孤独さえも快楽として肯定できる。「弱い自立」を支援する取り組みを社会的に進めていくことが重要である。

「人間」をアップデートする

アーレントの「人間の条件」の現状

アーレントの「人間の条件(労働/制作/行為)」の枠組みを参照しながら、現代社会の構造を次のように整理する。

  • 労働は、生存のための手段として単純化され、創造の喜びから切り離された。

  • 制作は、労働の延長として効率化されるか、「承認」と「評価」のためのパフォーマンスへと変質した。

  • 行為は、SNSの承認ゲームに絡め取られ、インスタントな反応を求める遊びに堕した。

この状態では、人間の活動がすべて「評価と承認のゲーム」の枠に回収されてしまい、「庭」へアクセスする暇が奪われている。

「人間の条件」をアップデートする

そこで「制作」を軸にアップデートする必要がある。

  • 労働を「生活のための負担」から、「弱い自立」を通じて、制作的な没頭へ向かわせる場と変えていく。

  • 制作を「労働の延長として効率化」「評価と承認のゲーム」のためではなく、人間外のもの(素材・道具・自然)との対話の場にする。

  • 行為を「評価と承認のゲーム」ではなく、制作で得た知見を活かした政治行為の実践の場へと再構築する。

プラットフォーム上の「評価」と「承認」の枠組みを超え、「制作」そのものが価値を持つ世界へと移行できる。これが「庭」を機能させるための「人間の条件」のアップデートである。

所感

逃れられない共同体との共生

「制作」を通して自分の「庭」を作り、現代社会の「評価と承認のゲーム」に抗う試みは、大きな願いである。しかし、人間は根源的に社会性を持つ動物であるため、完全に共同体から離れることはできない。だからこそ、共同体内でどう生きるのか考える必要がある。

  • 残酷を避けることを軸にした連帯

    リチャード・ローティーが示すように、「残酷さを避ける」ことを根本原理とする連帯は自由を支える。この方針は他の共同体にも適応する。

  • 共感なき連帯

    『教養の書』が示す、「共感なき連帯」を志向し、論理的かつ冷静な協働を実現する。物語的な共感に基づく扇動的連帯は、敵を設定し攻撃を正当化する危険性を孕む。

  • 言語の限界と事物との対話

    ソシュールの言語論によれば、人間は言語体系を通して対象を区別・把握しており、私たちが「世界」を捉える枠組みは大きく言語によって形づくられる。その結果、人間社会の概念や価値観は言語を介して構築・維持される。「庭」で「事物」に直接触れることで、偶発的に新たな語彙や感覚を獲得する可能性が生まれ、言語に先立つかたちで事物と対話へとシフトする可能性が拓かれる。

  • 共同体における自らの立ち位置の把握

    自身が所属する共同体と、そこで自らが中心に位置するか周縁にいるかを把握する。中心から遠ざかれば排斥の恐れがある一方、「弱い自立」を保つことで異なる共同体へ接続し、新たな可能性を見出せるかもしれない。

庭とオブジェクト指向存在論

「庭」は、「評価と承認ゲーム」から距離を置き、人間外との対話を回復する場として提案されている。この発想はグレアム・ハーマンらが主張するオブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, OOO)とも深く響き合う。OOOは、人間の認識を特権的に位置づけるカント以降の「相関主義」から離れ、虫や植物、道具など、あらゆるオブジェクト(事物)が自律的に実在するとみなす立場である。なお、ソフトウェアエンジニアリングにおける「オブジェクト指向プログラミング」とは基本的に異なる概念だ(クラスとインスタンスの枠組みは存在論を考えるうえで良いメタファーとなるが、開発で実際に重視されているのは名前と責務の分割に基づくSOLID原則の理論であり、哲学的関心と技術的関心にはズレがあると言える)。

この見方からすると、「庭」は人間が一方的に管理する空間ではなく、虫や植物、気候など多様な「事物」が互いに力を発揮し合う生態系として捉えられる。つまり、人間もまた「事物」のひとつにすぎない。そこでの手入れや「制作」は、他者の「承認」を得るためではなく、「事物」と協働する行為となる。自然の芽吹きや腐敗といったプロセスに深く関わるうち、「世界が変わっていく手触り」を得ると同時に、「人間が世界の中心にいる」という錯覚から解放され、多層的な世界観が現れてくる。

さらに、こうした関わりは本質的に「美学」の次元を含んでいる。感性によって「事物」が互いを魅了し、暗示し合うプロセスに身を置くことで、私たちの知覚や想像力は大きく広がる。「制作」を介して「事物」と対話する経験は、「承認」や「評価」の枠組みを相対化し、新たな公共性や社会デザインへの道を拓く大きなきっかけとなるだろう。

庭とは

主体の側から見ると、「庭に入る」ことは、いわゆるゾーンに入る感覚に近い。言語の枠組みから一時的に解放され、「事物」そのものと直接対話しながら没頭できる状態である。こうした作業や観察は、言語野による測り合いを超え、身体感覚や直観に根ざした対話を可能にする。いわば、他者や社会の視線を気にする前に、虫や花、土などの「事物」と向き合い、自分の内面や行為に新たな意義を見出す場となるのだ。

一方で第三者視点に立つと、「庭」は「庭に入れる人」と「事物」、そして両者の交わりを許容する「空間」によって成り立つ場所と言える。植物や土壌といった存在が自由に生きるだけでなく、人間がそれらと関係を結べる余白が確保されていることが重要だ。そこで初めて人が「事物」に触れ、「事物」の力が人に働きかける循環が生まれ、単なる管理や監視では得られない偶発性や創造性が育まれる。

さらに、この私的な「庭」を公共へ開放し、アクセスのハードルを下げることで、他者や通行人がふと立ち寄り、思わぬ「事物」との対話を体験できるようになる。「庭」は社会的なアクセスを通じて公共性を帯びる空間となり、「評価と承認のゲーム」から離れた偶然性に満ちた関わりを、より多くの人々に提供しうるのだ。こうして実際に「庭」に訪れた人の体験がコミュニティや社会へ波及し、新たに「庭に入る」機会が増えることで、「対話」や「制作」といった営みがさらに広がっていくだろう。

まとめ

共同体の「承認」と資本主義の「評価」が相乗効果で強まり、人間同士の相互評価ばかりが重視される社会では、世界や「事物」に向かう余裕が失われていく。その結果、SNSの「承認」ゲームや能力主義に疲弊する人が増えている。この状況を打破するには、管理しすぎない自然や「事物」と触れ合える場、すなわち「庭」が必要だ。

「庭」は人間外との対話を中心に据え、「制作」に没頭できる空間を生み出す。ここでカギになるのが「弱い自立」と「人間の条件」のアップデートである。破壊的な戦争に走らずとも、制作を通じて世界が変わる手応えを味わえるなら、それは破局的な欲望を平時の快楽へと転化する一つの道となる。「庭」というメタファーは、「評価と承認のゲーム」から私たちを解放する可能性を秘めているのだ。

自由意志と選択

参考

Do You Have a Free Will? - YouTube

はじめに

私たちは日々、朝食に何を食べるか、どの服を着るか、どの動画を観るかといった選択を迫られる。これらの決断は私たちの自由意志の行使と深く関わっているように感じる。その選択が本当に自由なものなのか、それとも物理法則によって予め定められているのか。自由意志と選択することについて考えてみる。

自由意志

自由意志とは、私たちが自分の行動を自由に選択し、決定する能力を指す。この概念は、道徳や法の基礎を成している。しかし、「Time of conscious intention to act in relation to onset of cerebral activity (readiness-potential)」「Predicting free choices for abstract intentions」といった神経科学の論文では、意思決定の瞬間において脳活動が意識的な選択よりも先行することが示されている。これは、私たちの意識的な選択が実は無意識から導かれている可能性を示唆している。

決定論の視点

自由意志について決定論者は「未来は既に記述されている」と主張する。私たちの身体は原子や素粒子から成り立ち、物理法則に従って動いている。もしビッグバン直後に全ての粒子の状態を把握できるスーパーコンピュータがあれば、未来は完全に予測可能だったかもしれない。この視点では、私たちの選択は既に決定されており、自由意志は錯覚に過ぎない。

量子力学は、未来が完全には予測できない不確定性を示す。量子現象は本質的にランダムであり、決定論を揺るがす新たな視点を提供する。しかし、物理法則にランダム性が含まれるからといって、それだけでは自由意志があることを示す根拠にはなり得ない。

創発の視点

自由意志の支持者は「創発」の概念を持ち出す。創発とは、多くの小さな要素が集まって、それら個々の要素には見られない新しい特性を生み出す現象である。例えば、水分子一つ一つには「湿り気」という特性はないが、これが集まると「湿り気」が生まれる。同様に、意識や自由意志も脳のニューロンの複雑な相互作用から生じるものと考えられる。

自由意志を粒子レベルの物理法則だけで理解するのは適切ではないという見解であるが、とはいえ、これではまだ自由意志を証明するには至らない。

自由意志の存在よりも

自由意志の存在は未解決の問題である。しかし、その存在が証明されていなくても、私たちが日常で感じる「選択している感覚」は重要であろう。この感覚が私たちの行動を導き、決断に価値を与える。たとえ物理法則が選択を制約していても、事実として私たちは自身の意思で選択していると感じている。

無意識のデザインも重要だ。過去の記憶から無意識が形成され、行動が生じることは確かである。これは、LLM(大規模言語モデル)にも似ている。多くの情報を学習し整理することで、より良い出力が得られる。

まとめ

自由意志が存在しているかどうかはまだ解明されていない。しかしそれが存在するかどうかに関わらず、私たちには選択をしている感覚がある。これからも自由意志の謎を解き明かすための研究が続くであろうが、今は自分自身の選択を大切にし、その選択の価値を見つめ直してみる。私たちが実感する選択の感覚がある限り、これを尊重し、選択の価値を最大限に生かすことが大切なのだと考える。

思いを伝える

はじめに

時として、理解できないことを言われることがある。逆に、理解できないと言われることもある。思いを伝えるためには何が必要なのか。思いの背景にある関係、視点、目的、姿勢といった要素に分解して考えてみる。

関係

思いを伝えるためには、自身の置かれた立場を把握し、周囲の関係を意識する必要がある。

以下に、存在している関係を示す。

具体的な関係のカテゴリー

  • 組織内の機能
  • 組織内の役割
    • マネージャー、リーダー、チームメンバー
  • 組織外の関係
    • 株主・利害関係者、エンドユーザー、国・自治体、教育機関、環境・世界
  • 個人的な関係
    • 家族、パートナー、友人、地域のコミュニティ、オンラインコミュニティ

抽象的な関係のカテゴリー

  • 関与範囲
    • 組織内部、組織外部
  • 責任の程度
    • リーダー層、中間管理層、基盤メンバー層
  • 物理的な距離
    • 同居、地域、国際

関係の度合い

  • 深さ、密度
  • 期間、特定のタイミング
  • 依存度

関係する人数

  • 規模
    • 個人、少数、多数
  • 相互関係
    • 1対1、1対多、多対1、多対多

多様性

視点

どのような思想を中心に据え何を目標に行動しているのか。多角的に視点を把握することで、物事や発言に対する思いの理解が深まる。

以下に関係の中で現れる視点を以下に示す。

友人・家族

  • 中心思想: 相手の感情に寄り添うこと
  • 行動: 誠実さと一貫性を示し仲間になる

顧客

  • 中心思想: 自身の欲求を満たし価値を感じること
  • 行動: サービスを得る

経営

  • 中心思想: 価値のあるサービスの提供
  • 行動: 過去の成功にとらわれず、今必要なサービスを見つけ、それを達成可能な組織の全体最適化と文化を育む

投資

チームメンバー

  • 中心思想: チーム全体の目標達成とメンバーの成長
  • 行動: チームの一員として相互協力し、個々の成長と共通の目標に向かって努力する

テクノロジー・インフラ

  • 中心思想: 最先端科学技術の工学
  • 行動: 便利で効率の良い新しい基盤をつくる

グローバル

  • 中心思想: 世界規模での価値の確立
  • 行動: 国際状況を把握し、立ち位置を明確にする

目的

発言の中にある思いには目的がある。その目的を達成するための思考を巡る。

考えられる思いの目的とそこで働く思考を以下に示す。

発想

良いアイデアを創造するには、深い洞察と柔軟な発想が必要となる。また、異なる分野や視点を統合し、独自の視点からアプローチすることが不可欠。

  • 一人で考える

    チームワークは作業に向いているが思考には適していない。ブレインストーミングよりも一人で集中して考えるほうが良いアイデアが生まれやすい。

  • 多様な経験と考察

    神経科学によれば、すべての思考は記憶によって作られており、アイデアもまた知識の中にある既存の事例や良い部分を抽出して組み合わせることで生み出されている。よって、アイデアが出ないというのは、体験が不足しているか、体験したことを深く分析していないこと原因である。

決断

決断とは、現状から最適な選択をすること。決断はスピード感や多角的視点、柔軟な姿勢が重要となる。これらを織り交ぜた、楽観的で心配性な姿勢が最適な決断を可能にする。

  • スピード感

    決断の速さは競争の優位性を生み出す。データが不足しているような不確実な状況下であっても、即座に行動することが求められる。

  • 多角的視点

    決断はスピードだけでなく、現状ある関係の把握し、多角的視点を利用し、最大の結果になるようにしなければならない。視点の把握漏れは判断の誤りに直結している。

  • 柔軟な姿勢

    決断の結果に対する柔軟な姿勢は、持続的に良い結果を出すことにつながる。進む過程で見える視点は変わるし、時代によって変化する。失敗を恐れずに受け入れる。それがより良い結果へ軌道修正を可能にする。

広報

広報は価値を広く知らせ、仲間の獲得に貢献する手段である。以下の点を考慮する。

  • 認知され価値になる

    どれだけ良いこと・ものがあったとしても、知ってもらわない限り無いのと同じだ。全く無名なら地道に身の回りから認知を獲得し、拡大し、繰り返し広報するしかない。本当に良いものとして認知の輪が色濃く広がることでブランドが確立する。

    迷惑をかけるような広報はいけないが、社会への認知のために過大になってしまうことは致し方無い部分がある。

  • 寄ってくるフリーライダーへの対処

    広報で過大広告をすると採用の面で問題解決できる人材ではなくフリーライダー(ただ乗りする人)が寄ってくる。問題解決できる人材とフリーライダーは表裏一体である。フリーライダーを問題解決できる人材に変えていかなければ、広報と採用のコストが無駄になる。

  • 広報とビジョンは一致する必要はない

    現場感から遊離した過大広告を組織のビジョンに関連付けることで盲目的な組織愛が生み出される。それが意見や状況の変化を無視し、何を言っても無駄な組織に変えてしまう。広報は広報として組織内部に持ち込まないようにするのが良い。

組織的問題解決

問題解決のための組織は、事業や顧客に向かう時間を最大化するためにあるべき。そこで組織的問題解決においては、以下の点に留意する必要がある。

  • 最小限の組織施策・マネジメント

    組織施策・マネジメントを必要最低限にして、事業や顧客に向かう時間を最大化する。

    外部評価のための施策はやめる。例えば、MVVの刷新、オンライン教育、評価制度の見直し、1on1制度、コーチングなどを何も考えず実施しない。

    チームのだれか一人がマネジメントを請け負うのではなく、メンバー一人ひとりが組織を良くするためにセルフマネジメントをする。

  • 組織を変える人が役職者

    能力を発揮できない役職で滞留するような昇進制度は、最終的に組織全体の能力までも無くす。組織を変えたいとする人がその権限を持って組織すべき。

絆を深める

深い絆を育むためには、心を開き、相手を根気よく理解することが必要となる。以下に要点を示す。

  • 相手は慎重に選ぶ

    絆を深めるためにはポジティブな感情だけでなく、時には拒絶的な感情を受け入れる必要がある。だからこそ、関係を深める相手は慎重に選択する。

  • 目線を合わせる

    意見やアドバイスで返すのではなく、質問や確認を通じて相手を理解しようとする姿勢が絆を深める。同じ目線に立ち、互いの欲求や意図を確かめる。

  • 無目的な発言

    無目的な発言は絆を深めることが目的である。無目的な発言に耳を傾けることは時間的にも精神的な余裕が必要となる。大切にしたい相手にだけ、発言から感情のベールを剥がし本当の目的を受け取るようにする。

姿勢

理解したいと思う姿勢が理解につながる。

個人があるべき姿勢を以下に示す。

反射的な反応をしない

反射的に反応してしまうと、的確な判断や表現を妨げる。発言する前に状況を十分に把握し、冷静に思考できない場合は、一時的な距離を置くようにする。練り込んだ思考だけを伝えるようにする。

問題の構造に着目する

問題をどうしても特定の個人に押し付けようとしてしまう。しかし、問題の原因はその背後にある構造によるものだ。起こってしまった問題は仕方がないと考え、構造に着目し問題を解決する。

文脈を把握する

思いを伝える言葉は、常に特定の文脈や状況に基づいている。文脈の異なる関係間でそれを無視すれば意思疎通できない。言葉の意味を深ぼる姿勢をとり、価値観に浸かって文脈を理解する。ただの部外者の発言では響かない。

具体例の利用

具体例は言葉の抽象度を下げ、思いに手触り感を出す。ストーリ、データ、固有名詞を使うことで、話の解像度があがり認識を合わせることができる。

相手を明確にする

相手が明確であるほど思いが乗る。聞きたい、読まれたいと思う言葉を選択しないと思いは誰にも伝わらない。伝えようと思う相手は未来の自分でもいい。逆に言葉を受け取るとき、その伝えたい相手を想像してみる。その言葉の裏側にある意図が読めてくる。

ポジショントークを避ける

自己の立場や地位に囚われず、問題の本質や解決策に焦点を当てる。自身の価値観について深く思考し主張していなければ、立場で話すことしかできなくなる。

アドバイスを求める

客観的な視点を持つことは難しい。自身に似合う服を選ぶのでさえ難しいことだ。言葉が適切に伝わっているかどうかを判断するのは難しい。他者からどう見られたか、どう感じたかと言ったフィードバックは価値がある。

まとめ

状況に合わせて関係、視点、目的、姿勢を重ね合わせることで、思いが伝わる言葉選びができる。自身が冷静でないと見落としてしまいそうなことがあまりにも多く、伝える相手の優先順位や状況によって、あえて伝えないことも一つの手段となる。

相手の立場や視点を尊重し発言を分析するとき、納得できる余地を生み出すことができる。それが心の余裕につながっていく。多くの人が伝えたいと思う意識が重なり合い、思いが伝わる関係が広がっていくように思う。

LLMとユニークなロギング

参考

落合陽一:2024年は超AIが来る

LLMと教育

2020年後半、コロナウィルスのまん延により従来の教育の方法の代替を余儀なくされた。そこでオンラインミーティングツールや動画の利用が行われ、結果として場所や時間に縛られずに優れた教育ができることを実感した。今後はそれに加え、LLMを駆使して個別最適化された教育が進展していく。だれでもものごとを深掘りできるようになる。学校の役割はスキルの習得において減少し、それに伴って社会全体の様々な価値が変わっていく。

LLMとの親和性のある人間

AIと高い親和性を持つ人間が大成する。藤井聡太氏の活躍は、この観点を強調している。「人間の作業がAIに奪われるのではなく、AIを巧みに利用できる一部の人間に奪われる」という言説はおそらく正しい。知的労働は新たな領域も開拓されるだろうが、一部の人間に集中し縮小していくのだろう。

文部科学省のガイドラインから明らかなように、日本政府はLLMの利用に対して慎重でありつつ前向きで、子供たちが早い段階からリテラシーを身につけるよう奨励している。LLMに触れる人数の絶対数が増えることで、LLMとの親和性が高い人間がより多く現れると予測される。

人間のコモディティ化を防ぐ

古い教育方針やビジネス本に書かれたようなやり方では、人間がコモディティ化することになる。それが意味するのは人間がLLMと代替可能になってしまうということだ。

他者が理解しにくい課題にあえて積極的に取り組み、自信を持って探求する姿勢が求められる。

独自LLMが簡単に作れるGPTs

2023年11月にOpenAIが提供を開始したGPTsは、LLMを個人の好みに調整できる新しい機能だ。何と言っても簡単に作れる。だからこそ、そのソースになる情報の取得と構築が魅力的なGPTsを作り出す鍵となる。

自己ロギング

GPTsを使うことで、自己の分身となるようなAIを作成することが可能となる。自分を複製できれば生産性をどこまでも伸ばせる。それには、自分自身の活動データを記述すること、つまり自己ロギングが重要になってくる。素のGPTとは異なるユニークな人間を形づくるにはユニークな活動から得たユニークな思考が必要となる。

所感

自分を複製できたら楽しいだろうと考える。GPTで十分というのは悲しいので、もっと多角的で他分野にわたりインプットし、ミックスして、ユニークにロギングしていきたい。

SNSと脳の作用

参考

The Internet is Worse Than Ever – Now What?

フィルターバブルの神話

従来、SNSは「フィルターバブル」という現象により、個人に適した情報を増幅し、反対意見を排除すると考えられていた。しかし実際のところは、現実世界の他者との交流の方がずっと強い「フィルターバブル」が存在し、イデオロギー的に隔離されている。SNSにはむき出しの多様性があり、ゆえに考え方の違いに悩まされることが多い。

SNSの多様性を脳はさばききれない

情報技術の進展により、人類がアクセスできる情報は多様で膨大になった。しかし、その情報を受ける人間の生物学的な構造は狩猟時代からほとんど進化しておらず、この状況に適応できていない。人間の脳は、生存戦略として社会構造を構築することに重点が置かれており、異なる意見や情報に対する受容が難しくなるようにできている。この脳の特性を「社会的選別(Social Sorting)」と呼ぶ。人間は自分の考えの外側を簡単には受け入れられないのだ。

さらに、アテンション・エコノミーがこの問題を助長している。アテンションを引くためのアルゴリズムや言葉は、極端で攻撃的な発言を誘発し「社会的選別」により強い共感や反感を生み出す。現代の人類は経済のためにSNSを介して脳が踊らされているのかもしれない。

意図的な分断

人間の脳はすぐには進化しない。脳の持っているバイアスを理解し情報に接することも重要だが、自分の外側=仕組みの部分を変えるにはどうすればいいのだろう。

実は、現人類の脳に合ったモデルがすでに存在している。それはSNS以前のインターネットだ。掲示板/フォーラム/ブログなどが分かれて存在し、接続を維持するアルゴリズムがなく、多様な集団を形成している。小集団には独自の文化や奇妙なルールがあり、どこか現実の生活に似ている。

あえて、意図的に分断する。「社会的選別された」小さなオンラインのコミュニティになることが、脳の負担を軽減し、多様性を理解するシンプルで効果的な解決策なのかもしれない。

まとめ

SNSの多様性を脳はさばききれない。人間は根本的に、意見の相違を認めることが困難な生物である。なので、あえてインターネット上でも意図的に分断することで、違いの壁を把握し、相互理解を促進できるようになる。

東洋思想を通してみる世界

はじめに

量子物理学者カルロ・ロヴェッリは、「時間というものはなく、すべては関係によって決まる」という見解を示しました。────────世界は変化でできている。

重力の強さで時間の流れが変化する理由を説明できるこの見解に、私は直感的に惹かれました。これは私が東洋思想的な考えをもっていて、それに起因しているためだと考えました。東洋思想は科学以外の領域でも注目されており、システムエンジニアリングにおけるアジャイル開発や、持続可能な世界を目指すSDGsなどの文脈でも重要視されています。自分の思考を深めるために、今一度、東洋思想の理念や特色についてまとめてみます。

概要

東洋思想とは、人間と社会のあり方について独創的な視点を提供する東洋的な考え方の集合体といえます。文化や宗教の枠を超えて、人間の普遍的な経験や知恵を表現しています。

自然

東洋思想では、人間は自然界の一員であり、自然と調和し尊重することが重要視されます。自然は私たちに恵みを与えるだけでなく、私たちが一体となって生きていくための基盤でもあります。日本では、神道や仏教などの宗教や文化が、自然と人間とのつながりに深く関わっています。例えば、日本の神道における「八百万の神」という概念は、日本の風土や自然環境に由来し、自然と神々、そして人間とのつながりを強調しています。また、四季折々の自然や文化を楽しむ姿勢も見られます。

他者

東洋思想では、人間は孤立した存在ではなく、他の人々との関係性の中で定義されます。人々が互いに尊重し合い、調和のある関係を築くことは、人間関係や社会の健全性にとって不可欠です。対話や協力、共感や共存の原則である「和」を重んじることがその表れです。

変化

東洋思想では、過去や未来に囚われるのではなく、現在を生きることが重視されます。般若心経の一節にある「色即是空・空即是色」や仏教の教えである「諸行無常」は変化を捉える上で重要な考え方です。これらの概念は共通して、この世に絶対的な事物は存在せず、万物が常に変化し続けているという考えを示しています。この考え方は、人生や世界の流動性と変化に対して柔軟な心を持つことを助けます。変化と不確実性を受け入れることで、人々は自己成長や学びの機会を見出し、新たな可能性を開拓することができます。

  • 色即是空: 全てのものは無である
  • 空即是色: 全てのものは無から変化することによって万物に生まれ変わる
  • 諸行無常: 全てのものは変化している

自己

東洋思想では、人間の内面的な成長や自己探求が重要視されます。物質的な欲望や執着にとらわれずに生きることは、心の平和と精神的な解放をもたらすとされています。仏教では、物質的な欲望や執着から解放された状態を「涅槃」と呼びます。禅宗では、「涅槃」に至るために座禅と瞑想を行い、自己やそれを取り巻く世界を「俯瞰」することで、心を安定させます。

美徳

東洋思想では、「感謝」することの美徳が高く評価されます。「感謝」は喜びや幸福の源泉となります。他者への「感謝」は人間関係の質を高め、自己の心の平穏や幸福感を向上させ、他者とのつながりや社会的な結束を深めます。また、あたりまえなことに目を配り「感謝」する姿勢は些細な変化に気づくために重要となります。

美意識

東洋思想の中でも、特に日本には「侘び寂び」という美意識があります。「侘び寂び」は、物事の一時的で流れる美しさや、過ぎ去っていく時間の哀愁を感じることを通じて、人々に深い感銘を与える力を持っています。また、「侘び寂び」は完璧を求めるのではなく、むしろ不完全さや傷つきやすさを受け入れることを重視します。

  • 侘び: 簡素さ、控えめさ
  • 寂び: 静けさ、儚さ

なおこの記事のトップ画像は、bingのImage Createrで「wabi sabi」と入力して生成されたものです。

まとめ

東洋思想は、世界が変化し続けていることを理解し、今という瞬間を生きることの大切さを主張します。変化を楽しんだり、美しく感じたり、調和する姿勢が、心の平穏や人生の充実につながっていくように思いました。