教養とは何なのか

読書本

教養の書を読んで自分の中にある「教養とは」を何段階も更新し、それをまとめました。

初版: 2020/05/22

著者: 戸田山和久

教養とはなにか

公共圏を通じて人類をよくしようとする能力のこと。また、この能力を高める過程。

教養の相対化機能

知識を得ると世界の解像度が上昇する。そして自分が世界にとってなにかおぼろげながらでも客観的に視えるようになってくる。すると事象が生じたときに、自己の価値観を絶対とした事象ではなく、知識から相対的に事象を見ることができるようになる。

自己の間に知識をおくことで冷静な判断や深い洞察、建設的な議論につながる。教養にはこの相対化を生み出す機能がある。

概念や文化の継承

人類の営みの改善は概念や文化を継承することによってなる。人間は動物的な能力を超えて文化を纏うことで生存を可能にしている。これは人と他の生物を分かつユニークさである。

単にコミュニケーションなら動物も行っている。しかし人類は文字によって、批判的に考えたり、思考を改善したり、他の動物では困難な高度で抽象的な伝達が可能になった。できるだけよい概念や文化を継承することは生物的な価値よりもずっと、後世の人間の生活に寄与する価値あるものである。

例えばジョン・ロックやジャック・ルソーらによってもたらされた、人権という概念を共有することで我々は幸せな生存を可能にしている。

教養を妨げるもの

フランシス・ベーコンの著書「ノヴム・オルガヌム」では人類が教養を妨げるものを巧みに分類している。

  • 種族のイドラ

    先天的な認知バイアス。過度に事柄を抽象化/一般化したがる。論理的思考も苦手。あるいは、知覚システムにもともと備わっている歪み。

    →人間の思考にバイアスがかかることを理解する

  • 洞窟のイドラ

    環境、受けた教育によって、人の心を縛るようになった偏見・先入観による知性の妨げ。

    →視点を変える。他者と出会う。歴史を遡る。

  • 市場のイドラ

    言論空間。また使っている言葉による知性の妨げ。

    →自分自身で選択してボキャブラリービルディングを行う。

  • 劇場のイドラ

    集団思考による知性の妨げ。

    →美徳を考え、それに照らした時、自分が取るべき行動を反省する能力が必要となる。

人間の生命体としての能力はだいぶ弱い。地球を支配するその強大な力は、文化・文明に大きく依存している。

自己破壊の魅力

教養することとは自己破壊である。

教養を持つことは今の自分を破壊して行くことである。真実に近づくこと、自由に開放されるためにはかつての自分を否定したり、周りの人を蔑むことになるかもしれない。しかしながら、ただ今ここにいるだけの人々と同化するはつまらない。というかそちらのほうが怖い。

惨めになるような価値観から抜け出す勇気をもって理性を使え、とカントも指摘する。

共感なき連帯

共感はスポットライトみたいな力で、個人に焦点を当て、似たような人に向けられ、先入観が反映されやすい。無意識に自分と違うものを排除する力として働く。

情動的に共感するのでなく、事象を単純に理解するようにする。感情と切り離す。相対化して考える。

これにより、共感をせずとも連帯して建設的な議論を行うことができるようになる。

言葉による思考拡張

言葉を定義することで、人々の思考を拡張する。公的に議論できるできるようになる。

言語は概念のカテゴライズするためにあるといってもいい。語彙力を育てることはそれだけ思考の引き出しを増やすことにつながる。育む語彙は日本語だけである必要はない。ニュアンスをうまい言葉でまとめれていたら単語帳にメモっていくといい。

ソフトウェア・エンジニアリングの分野で適切な命名による効力を発揮する。ドメインコンポーネント、クラス、メソッド、変数がどれだけプロダクトに影響するか知っている。

人類としての自分

自己を相対化し世界と向き合っても虚しいだけかもしれない。どうしても特定の団体に対して貢献しようとすると、社会活動がハイスコアを取るゲームに見えて辟易とする。必死に自分の良心に従って行動しても社会に爪弾きにされることは容易にある。

だったら、自分の思いは多少なり人類のためになっていると考えてみる。モチベーションが保てない時、自分が楽しければいいの延長線上に人類の進歩があると思うと救われるように思う。

今、世界でなにができるか

参考

成田悠輔&宮台真司と考える日本社会の闇深さ

現代の社会構造図

2020年代の社会構造

加速する世界でなにができるか

加速主義の果てに新しい権威主義によって支配された世界は、ディストピア的な印象を感じるところがあります。 仲間・共同体などの小集団が主体となれるような世界に教育やメディアの進歩を待たずとも近づけるには何をすればいいのか。 まずは自分の仲間にとってミドルマンになれるよう要約したり、仕事のなかで考えた道筋を残してみたりして、いろいろ試してみようと思う。

2つのレイヤーを生きる

「物理」と「関心」による関係

我々の社会には大きく2つの組織関係がある。物理的(地理的)な制約によって成るコミュニティと、共通の関心事によって成るアソシエーションだ。この2つの組織関係について考えてみる。

心に近いコミュニティ

コミュニティは人々が物理的に接触することによって自然発生する関係だ。この関係を回避する方法は、異なる場所に移動すること以外にない。このコミュニティは地方の行政と協力し、地域の物理的要素を管理および構築することで、住民の基本生活水準を安定させる役割を果たす。

また、コミュニティの行事は地域の伝統や風習に基づき、コミュニティの一体感を高めたり、一時的なストレスの解消に役立ったりする。コミュニタリアン的な言葉で語ると「位置を確認し、帰属意識のようなもの」が育まれる場所である。

アソシエーションの加速

コミュニティに対してアソシエーションは共通の目的や関心事によって生まれる関係である。テクノロジーの進歩により、アソシエーションをとてつもなく構築しやすくなった。自宅からでもインタラクティブにリアルタイムで海外と交流したり、SNSで共通の関心事を持つ人々と出会うことができる。通貨を作り、オンラインサロンを開き、人を集め、守るべきルールを決めれば、まるで仮想的な国を個人で作れてしまう。

しかし、アソシエーションを形成することは容易になったが、個人の悩みを深くまで相談するような関係を築くことが難しくなったように感じる。日本において会社はコミュニティ的な側面が強かったように思う。しかし、テレワークの推進や転職率の増加、成果主義によってアメリカ的な脱コミュニティに向かっている。生産性は上がるが、精神的にきつくなる。

教育はそのどちらの側面も持つ

「学力などのスキルの能力の向上」はアソシエーションに関わることで深く学べる。数十年前に比べると地方と都市の差は圧倒的であったが、今はインターネットによって地方でも質の高い教育を受けることができるようになった。これから学校は学力の向上よりも地域に根ざし、コミュニティに重きをおいて社会性を育む場所となるように思う。

アソシエーションの関係は目的が一致しなくなるとすぐに破綻する。会社の新人研修のような場は、コミュニティ的に会社における居場所を見つける場にしたほうが良いのかもしれない。スキルの教育はその後でOJTで学ぶのがよさそうだ。

まとめ

組織関係にはコミュニティとアソシエーションの2つのレイヤーがあり、その特性を理解した上で関わっていく必要がある。組織を作るならばなおさらだし、そのどちらの側面をもつ教育はどこに力を入れているかの制御が不可欠だ。また、組織関係はいつでも変えられるということを忘れないようにすることも大切そうだ。

モノとの付き合い方

モノと市場

人がモノに出会うためには、市場に出向く必要があります。現代の市場はインターネットによって、誰でもいつでもどこからでもアクセスできるようになりました。このインターネットを活用して、世界を席巻するプラットフォーマーは圧倒的な投資により他の追随が不可能なレベルのサービスを提供しています。ECならばAmazon、動画ならYouTube、発言ならTwitter、コミュニティならFacebook、すべてのモノをつなぐ検索エンジンGoogle

モノとの出会いのレイヤーがインターネットシステムにオーバレイされているような状況。これが今の市場とモノの主流な関係です。

プラットフォームが選別するモノ

モノはプラットフォームに乗ることで、ユーザがアクセスできるようになります。市場を提供する側が陳列する権限は、インターネット以前から存在していましたが、それを忘れてはなりません。プラットフォームの意図によって、モノとの出会い方が決まります。

ユーザによるモノの選択

プラットフォームが提示するモノは、ユーザの行動傾向に基づいて変化します。陳列方針とユーザの行動傾向により、ユーザが閲覧しやすいモノが決定されます。現在のプラットフォームは、ユーザの意思が反映されやすいデザインになっていると感じます。そのため、クリエイターはユーザのアクセスを誘うためにプレビューや概要を工夫するようになりました。

PVのための過激な表現

閲覧数=PV稼ぎは加熱の糸をたどるばかりです。特にYouTubeは、極端な意見や暴言が目立つサムネイルが多くなっています。ただ煽るだけでモノが伴っていないものや、モノは良いが過激な表現をする必要があるものは、残念なことです。

我々ができること

この状況を打破することは到底不可能だと考えます。人間の性質を変えることはできないし、プラットフォームになにか革新的なアルゴリズムが組み込まれるとは思わないからです。

人の性質とプラットフォームとうまくつきあっていくしかないです。具体的には以下のように行動できると思います。

  • ユーザとして意識的に自分の行動を捉えたり、極論に振り回されない。 ものごとは大体の場合2極ではなく、グラデーションであることを念頭に置く。

  • クリエイターとしては、過剰な表現をモノの内部まで巻き込まない。

優れたモノが埋もれてしまうのは非常に残念です。しかし、他の誰かの不幸を願うわけにはいかないですし、ユーザとクリエイターの双方が市場を活用できるように意識し続ける必要があります。

青い炎を燃やす

SNSによる個人の能力の拡張

「好きなことで、生きていく」

YouTubeのCMで使われたキャッチコピーです。これは社会の変化における重要なキーワードだと思います。

インターネットとSNSの進化により、個人が簡単に社会に発信できるようになりました。今までにない新しい社会との関わり方です。この変化は新しい価値を呼び起こし、新しい経済が生まれました。個人の力が強化され、結果として会社や国家、地理的な制限を超えて、個人同士のコラボレーションが可能となりました。

個人とプロジェクト

人々は「withコロナ」により強制的に社会との距離を感じました。

私は日本のチームと海外のチームとリモートワークをしています。リモートワークの経験が増え、慣れていくにつれて、会社や国家といった枠組みの意識が薄れている感覚があります。明らかに残るのは、個人とプロジェクトです。

プロジェクトは個々が協力して目的を達成するための枠組みです。チームや共同体と言い換えてもよいでしょう。

技術との共存

かつてのイギリスでの産業革命のように、人々は仕事を失いつつも、社会が求める職種が変化しました。時間が経つにつれて、人々は技術と協力し、危険な仕事や重労働を避けることができるようになりました。

この変化が今も進行中です。デジタルやロボティクスの進展により、現在の労働形態が変わりつつあります。今後の創造性の分野では、テクノロジーによって強化された個人の力を活かし、グローバルな人材が集まって組織されたプロジェクトが超生産性のもとで生産活動を行うようになるでしょう。また、ロボティクスの進化により、かつて人手が必要だった分野も、例えば自動運転や配送、フランチャイズレストラン、コンビニなどは効率的かつ安全になるでしょう。

では、どのように社会に向き合うか。

執念という情熱

「好きなことで、生きていく」には他にはない個人の圧倒的なモチベーションが必要です。

個々の人が自分のこだわりをもち、世界で優れたメンバーと協力してプロジェクトに没頭することで、モチベーションから生まれる「こうなりたい」という執念は、誰もが思いもしないイノベーションにつながるでしょう。もっと単純に言えば、自分が「好きなこと」を極めることこそが人生だと思います。そのために今、主流のテクノロジーと向き合わなければならないと思います。

揺るがない、静かな、青い炎のような執念。個人はこの情熱を何かの対象に対して抱けるかどうか。青い炎を宿す人類に私はなりたい。

リモートワークのpros, cons

はじめに

対国外リモートワークが2年ほどの経験がある私が、対国内リモートワークを1年続けて感じるpros, consです。

pros:より自由に人間らしく

実際にリモートワークをやってみてその利点は以下のようなことです。

 - 家から会社への移動がなくなり、自分の時間を大事にできる

 - 分業が必須なため、よりタスクが明確化する

 - オフィスで頻発していた割り込みが減少し、作業に集中できる

私のチームはフルリモートで活動していて、さらに個人の裁量で自由に時間を使うことが可能になっています。そのため、幼い子供がいたり、介護をしている家庭である場合など一見リモートしづらいような環境に身を置くメンバーがもっと自由に活動できるようになりました。これがずっと監視されるようなマネージメントをするようになると、リモートワークの良さが潰れて、高いストレスに変わるのだと思います。

cons:明確になりすぎるタスク

良い面があれば悪い面もあります。 リモート化に伴い精神的にダメージを負う人が現れることも事実としてありました。

個人の作業をより明確にしないと作業できない都合上、だれがどのタスクを進行しているか具体的にわかるようになりました。これは作業状況がわかりやすなる反面、だれの仕事が遅れているかとかだれが仕事をしてないか、というところまで具体的にします。

割り込みが減少していることもあり、SOSもかなり追い詰められてからになってしまいます。この責任が個人ではなくチームに向けられるようにできなかったのが良くなかった点です。

cons:目立つ人、目立たない人

目立つひと、目立たない人が存在することも顕著に見られました。全体チャットで話す人ほど目立ちます。その話題の外にいる人はどうしても目立たない人のように映ります。人によってはそれが原因で萎縮がすすむ部分があるように思います。チャットはトピックごとに細かく分けるようにすることで対策できます。

まとめ

リモートワークはより人間らしい生活を与えてくれる反面デメリットも存在します。リモートでのチームワークは以前のものとは形状が違うことを認識し、いかに一体感を持ってワークするか改善を続けていく必要がありそうです。

デジタルな未来へ

読書本

共鳴する未来を読んで考えていたことをまとめました。

初版: 2020/09/30

著者: 宮田裕章

デジタルによる豊かさ

単に作業効率を上げるためにテクノロジーを利用する時代は終わろうとしています。企業・国家・学校・病院など組織はデータやテクノロジーを駆使して、人々の生活をあらゆる面でより良い方向で変化することを求められています。

データ・テクノロジーを駆使することで生活が豊かになることをすでに我々は体感しています。Googleでの検索やamazonでの買い物、GoogleAppleスマートフォンの使い心地など、もはや生活になくてはならないものとなっています。これは10年前の世界では考えられませんでした。

このようなTech Giantと呼ばれる企業は、利用者のデータを分析することでユーザ体験(UX)を最適化を継続することに成功しています。

デジタルによる自由

データにより多元的な価値を共有することができれば、生き方のデザインを変えることができます。例えば生まれや性別で銀行からの融資を受けられないというのは自由とはいえないです。ボランティアには貨幣価値がないから参加する価値がないといった悲しい考え方もなくなっていくと考えられます。家族との営みを大切にすることには貨幣には変えられない体験価値があります。

デジタルには貨幣価値だけでない多元的な価値観を可視化できる力があるのです。

プラットフォーマーと個人情報

しかし、テクノロジーを利用する一般市民としては、いくら生活が自由で豊かになるとはいえ、ただデータを明け渡すのにはなにか不安があります。誰か一握りの意思によって生活を握られるのは気持ち悪いのです。

生活を豊かにしつつプライバシーを保つ。データを利用させないというのは生活水準を落とすということ。納得できるデータ利用とはなんだろうか?そう考えていくと、巨大プラットフォーマーに望むのは、データを利用する場合の目的とその範囲が明確にすることのように感じます。

以下のようなことをプラットフォーマーは対応する必要になっていくのではないでしょうか。

  • 通知

    「政府がコロナの対策Aの目的であなたの渡航歴を参照しました。」

    このような情報が後から追跡できるような状況になっていれば、個人情報を提供しても不安ではないと思います。またスピーディーな対応のために逐一ユーザ承認するでは遅いので利用後通知が適切と考えます。

  • 目的結果へのアクセサビリティ

    「コロナの対策AによってAIモデルXを作成し12%の死亡率の減少を実現しました。」

    通知から利用された目的の詳細を見ることができます。ものによっては、ボランティアのような体験価値があると思います。

  • ポータビリティと提供拒否

    「あなたの個人情報をプラットフォームPに移行します」

    プラットフォーマーを変更する権利です。情報提供を拒否する選択もできますが、その場合はプラットフォーマにサービスが制限されるのは致し方ないでしょう。

コモンズとオープンソース文化

プラットフォーマーだけでは耐えられない問題があります。それは国や地域などの領域とは異なる枠で区切られる問題に直面したときです。健康や勉学などの分野で区切ったときに領域で区切りのは得策ではありません。今までこれを国際機関でやってきましたが、これからは様々なプレイヤーが多層的に問題解決に参加できるようになるとよいと考えられます。

ソフトウェアの世界ではすでに誰でも特定の問題解決に参加できるような仕組みがあります。インターネット上にオープンなプロジェクトが展開さていてそれを軸にコミュニティが存在しています。企業内で作られたソフトウェアよりもオープンな環境で作られたソフトウェアのほうが品質が高いと言われており、GoogleMicrosoftも自社製品をオープンソース化しています。オープンソースに貢献することはソフトウェアエンジニアにとって誇りなのです。ただし、決定は権威的に行われます。個人が提出したソースコードをメインストリームに乗せるかどうかはコミュニティのリーダーに裁量があります。

オープンソース文化を参考にコモンズを形成することが良い思います。ただ、どのように決定を下していくのかは慎重に決めていく必要があるように思います。

データの形式の統一

データをつなげる、サービスやUXを民間で開発・利用するためには、データの保存形式の取り決めプラットフォーマー間で決めておく必要があるしょう。インターネットがここまで発展したのはプロトコル(取り決め)がきっちりと決定したからです。

個人を決定するIDや秘匿情報の取り扱いは共通のデータ形式としてプロトコル化し基盤にする。そして必要にお応じてプロトコルのアップデートをかける。プロトコル管理はデータをつなぐ要となります。

まとめ

世界はデジタル化を進めます。デジタルはただ便利になるだけでなく、人々に豊かさと自由を提供する可能性をもつ力です。プライバシーとは、データを共有することとは、自由とは。個人がこれからの世界を真剣に考えなければデジタル社会はいびつなディストピアに向かってしまうのではないでしょうか。