アテンション・エコノミーからの解放

承認と経済

人間は自分自身を肯定する時に喜びを得ることができる。人は承認の奴隷である。

現代ではテクノロジーによって、承認を数値として確認することができる。いいねやページビューは承認だ。企業やマーケターはアテンションで人々を引き付け、承認によって関係性を構築し、サービスを提供して利益を得る。この承認を促すアテンションに焦点をあてた経済がアテンション・エコノミーである。これは今に始まったことではなく、テクノロジーによって加速している。

誰かに受け入れられることは悪いことではない。問題はその方法だ。承認を得るために過激なアテンションが盛んに行われている。

容易に承認される方法としての論破ゲーム

論破のゲームが蔓延している。テレビ番組でもニュースサイトのチャット欄でもどこでも見られる。このゲームは言葉によって人を言い負かし、勝者を決める議論にみせかけたゲームだ。その基本的な構造としては「異なる意見を持つ対立の陣営を配置し、その光景を眺めるその他大勢の観客」といった具合で、さながら中世のローマのコロッセオのようだ。

ただ、このゲームの勝敗は観客が大体勝手に決めている。そのためゲームの発言者は観客への勝利の演出が大切になる。そしてその方法は大体決まっている。それは「極論を言うこと」「無難な当たり障りのないことを言うこと」「切り取って揚げ足を取ること」「強い語気を使うこと」だ。これだけで承認を得られる可能性が高まる。観客はただその光景を見ているだけだが、自分を重ね合わせることで承認欲求を満たすことができる。

議論や問題解決をするのであれば、そんな観客へのアピールなんていらない。最適な選択をグラデーションの中で悩みながらトレードオフする。間違ったらまた迷って修正する。複雑な問題を分解して関係を理解し、大きく小さく多角的に考える。論破ゲームはアテンションを引きつけ感情を揺さぶり共感を生み出し、仲間を見つけようするだけだ。悲しいことにもしかするとそれが人間の本能なのかもしれない。

承認システムと簡略化された情報

お金、フォロワー数、いいね、ページビュー。我々が目にするこれらの数値は管理しやすい簡単な情報に簡略化されている。どういう文脈で、あるいはどういう理由で加算されたものか見分けがつかない。

しかし、この単純すぎる数値には経済を回す力がある。ソーシャルメディア上ではいつでも強制的に比較され、順位付けのゲームが好きな人のコンプレックスを強烈に刺激する。世界への影響力と直結しているように思えるから、なんとしても増加させたくなる。より多くの承認を得て気持ちよくなりたいと考えてしまう。

その結果、以下のような負の承認システムが出来上がる。

  1. 論破ゲームに巻き込まれている人や団体に対する極論に対して「いいね」する
  2. 「いいね」した発言を真似て発言する
  3. 「いいね」をもらう
  4. 別の人がそれを真似する

企業やメディアの賢い人達は極論や強い語気をぶつければ「釣れる」ということを理解していて、記事にフックになるワードをちりばめて誤解を招くことを承知でアテンションする。上記の負の承認システム上では内容よりも情緒が優先され、過激さによってシステムがより加速し数値が増加していく。過剰なアテンションで人を無駄に不安にさせたり誤った判断をさせたりして人を不幸にすることは間違っている。

そんなやり方で得た数値に価値はあるのかよくわからない。信用なんてあるとは思えない。雑な数値がはびこる雑な世界だと私は思う。システムが作り出した数値で人の価値なんて簡単に決められない。

テクノロジーにより意図的に承認を作り出すという処方箋

承認を得ないと人は不健康になる。しかし承認を得るために公共の場で論破ゲームなんてやるくらいなら、テクノロジーを駆使してAIに優しい言葉をかけてもらったほうが良いのではないかと思う。

実際、ChatGPTを代表にAIの進化はめざましい。自分の投稿とした写真やコメントに対して簡単な感想コメントだけなら、それがAIなのか人間であるかどうかは、もはや区別できない。自分の写真や文章の投稿に対して、意味を汲み取りつつ「いいね」「おもしろいね」、究極「生きてるだけでえらいね」的コメントを絶妙なタイミングでしてくれれば気分は良くなると思う。過剰に自分の都合が良くなりすぎないようにアドバイスの強度を調整できるオプションがあってもいい。AIは観客になる。

不平不満が趣味な人々には、定期的にAIでフェイクニュースで話題を提供し、それを叩いてもらって憂さ晴らしさせてあげるとよい。テクノロジーで意図的に承認を作り出すことで、誰も無駄に傷つけ合わないで済む。ネガティブな感情は空虚に消える。

自分自身に向き合う

人は承認の奴隷である。それは変えようがない。ただ、もっと重要なのは「自分は自分を承認できる」ということに気づくことだと思う。

比較なんてしてる暇ないくらいに、まずは自分自身を承認できるように生きていることを誇れるように精一杯やってみる。努力の結果で自分自身を認めることが一番の承認体験になる。他人や社会にとって良いとされることに対して興味がなくなっていく。そうすればアテンションに振り回されづらくなる。

とはいえアテンションで駆動する経済は以前社会には存在しているし、どうしても人は人に嫉妬してしまう。当分このシステムから開放されることはないのだろう。

所感

多くの人が気軽な承認の魔力に惑わされなくなれば世界はアテンションの経済から開放される。しかしながらこの問題は根深い。今のところは個人的に距離を取るしかない。どのように距離を取るか箇条書きでまとめる。

  • 自己承認できるように好きなことに全力で取り組む
  • 数値を安直に判断しない
  • 注目のために人を傷つけたり、誤解を招くようなことをしない

テクノロジーで無駄な争いを減らせるかもしれない。もっと人々が自分自身を大切にできるテックを創造したい。